パルプ チャールズ・ブコウスキー著 柴田元幸訳
ちなみに初読は新潮文庫版でしたがそちらはすでに絶版、現在入手できるものはちくま文庫からのものとなっています。
ブコウスキーの著作自体はわりと若いうちに読んだ記憶があったので、これもそうだと思い込んでいたのでしたが、新潮文庫版の発売が2000年だというので、既に20代も後半になった頃に読んだ作品です。
そうしてその後、時折読み返しては、特に得るものがあるという類の話ではなく、それでいて妙な楽しさとでも言えばいいのか、不思議な感覚を味わうのです。
そもそも、ハードボイルド的なものが好きなのかもしれず、大昔、中学生時代に買って来た私立探偵が主人公のゲームブックはお気に入りで、特にゲームをするわけでもないのにボロボロになっても未だに取ってあるし、フィリップ・マーロウのことも大好き。
ハードボイルドというよりはコメディながら、『名探偵登場』『名探偵再登場』のあの雰囲気も大好きなのではありますが、この話の主人公は「うだつの上がらぬ」という言葉を体現したような男で、さらにはいつ死んでもおかしくなさそうな生活ぶり。
ニック・ビレーンというデブで中年、酒びたりで賭けごとにハマって借金まみれ、何度も結婚を繰り返している今は一人身の、全てにおいて冴えない私立探偵。
飲んだくれては賭けごとに赴き、賭けに負けてはやばい目にあいそうになり、近所にも同じような飲 んだくれの賭け中毒が住んでいます。ダメなことたちの連鎖のただなかにいる男です。
物語の始まり辺りで既に、家賃が払えなくなって家主に追いだされそう になっています。
そうして最低な彼は、やはり彼と同じような最低な匂いのする家主を殴り飛ばして、そのゴールドカードを奪いさえするのです。
タフでなければ生きていけない、ってなわけですが、必ずしもビレーンがタフガイというわけでもなく、まあね、途中で輩のようなガキどもへ制裁を加えたりもしているものの、どういうものかほとんどのピンチは、彼の不思議な依頼人が救ってくれて話が進みます。
オッサンのやっていることは、酒を飲んで賭けをして、ちょっとの暴力と多少の勇気、借金取りや賭け仲間に追われてみたり、というばかりで、そこを彩るのがおかしな依頼の数々です。
美しさとは対極の世界が描かれているんだけれども、だからと言ってそれが下卑た世界というわけでもなく、変な心地よさを感じ、ひたすら消費されて行く日々を彩る悪夢のようなしかし冒険でもあるような、雑多な事柄が繰り広げられる物語で、人生は無駄だらけ、でもそれでいいんじゃないかというある種の悟りにも似た感慨深さで読み終える話、なのです。
なんとなく、このお話の肝のような気がしなくもないのは、
”最高の時間は何もしていないときだって場合も多い。何もせず、人生について考え、反芻する。たとえば、すべては無意味ではと考えるとする。でもそう考えるなら、全く無意味ではなくなる。なぜならこっちはすべての無意味さに気づいているわけで、無意味さに対するこの自覚がほとんど意味のようなものを生み出すのだ。わかるかな? 要するに楽観的な悲観主義。”
(ちくま文庫版P226より)
彼へ来る仕事は変なものばかりです。
死の貴婦人を名乗る女から、既に死んでいるはずの詩人が実は生きて存在しているのか調べて欲しいと頼まれたり、実在するともしれぬ赤い雀の存在を確かめて欲しいとか、宇宙人の女に悩まされているという男から、宇宙人をどうにかして欲しいと依頼されたり、時には普通の探偵並みに、物凄くいかした奥さんが浮気しているのではないかと疑う男からの依頼、なんていうものも。
依頼人たちの依頼目的も、しっかりとしたものなど無い有り様。
人探しも雀探しもどちらも特に強くは、その対象を捕獲せよ、というほどでもありません。
宇宙人に悩まされているはずの男は宇宙人に会ってしまえばメロメロで、夫に頼まれて浮気調査の対象になっていた女は、ほかの依頼のうち二件にほんのりつながりを持ちはするものの、だからといってそれが特に話に大きくかかわった様子でもなく、という具合。
結局のところニックがどうにか事件を解決したかのような場合には、死の貴婦人を名乗る美女か、依頼者に引き合わされた、実は信じがたいほど醜悪な形をしているものの地球にいるときには絶世の美女の宇宙人の女が、助けてくれたからなのです。
でもきっと、この無意味さにも何か意味があるのだ、ということなのでしょうか?
それとも、驚きのようなこれでいいのだとでもいうようなラストの、意味を含んでいそうな様子は、実は無意味なのだということなのか?
まあね、特にそんなことを色々と考える必要のないものではあるんだ、と思うんです。
エンターテイメント、なのです。
詩人のブコウスキーが、意味のなさそうないわゆるパルプフィクションに人生哲学をふんわりとまぜこみながら話を進めていて、だから荒唐無稽な依頼たちと、デブで酔っ払いで賭けにも負けてばかりいる私立探偵の話に、非情に含蓄があるような気がしなくもない物語、という表情が産まれていて、とはいえその哲学の全てに意味があるのかなんて分からなくて、それでも哲学が、なんて考える必要はないんだろうと、特に教養の無いあたしは思いました。
ブラックジョークを、単純に面白いと受け取るのか、その題材となったものの細かい部分までを知ってさらに深く面白いと思うのか、という違いがあった時に、どちらの受け手に対しても面白いものであったのならばそれは、非常に成功したエンターテイメントであり、この作品はまさに、その類なのだろうと思います。
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