恩田陸『Q&A』(幻冬舎文庫)

少し前に本屋へ行った際に、謎めいたカバーの文句につられて購入。

このところ積読になっていることが多いのだけれども、肩と肘があまりにも痛くて近所の医者へ通院したので待合室で時間があって、購入してすぐに読む機会が出来ました。


これをミステリーと捉えるか、エンタメ要素の強い人間心理を描いたものとして捉えるかで、読後の満足感は少々違くなるかもしれぬ、という気持ちはしますが、一気に読めてしまう物語でした。


最後の章だけは、作者の中では現実だったとしても、夢の中で思い出したかのようなていにするとか、夢の中で予感として見た未来、という形にしてしまってもよかったのではないかな、とは思いましたが、実のところ最後の章だけ少々不自然な気持ちがしなくもないです。

しかし今までと同じく質問と回答で綴られたことにも、あるいは意味があったのかもしれません。


とはいえ私の勝手な感想としては、作者は最後の章の中心人物に対して、あるいはその人物の身に起こった事柄について、憐れみというか情のようなものをーーーーーーもちろん作者であるのだからきっと様々な人々に対して何かしらの情を持ってはいるでしょうけれどーーーーーー幾分強く持っていたか、或いは非常に物語の記号として重要なので、作中の他の人々にはその人物の最後に選び取った行動の意味を知るすべもないのかもしれないのではあっても、本人がケリをつけることを決定させることをしたかったのかもしれないな、という気持ちにはなりました。正しくなどないようにも思う決定だけれども。


多少疑問は残るものの、その人物が事件当時に実際に行ったのであろうと描写される残酷な行為も、自分の意思ではまだ責任を取れる話ではなかったのだし、残酷であるかを判断することよりも勝る欲望に打ち勝てなかったからといって、まだ裁かれる年齢ではなかったのだ、といった辺りや、生まれる場所は選ぶことは出来ないのだ、というような辺りも、この少し不自然な、蛇足的ラストが必要だった理由かもしれないのかなと、考えたものでした。


割合と淡々と、ただ冷徹に、人々の理解を超えるような大きな大きな事件の周りでは人間の存在はとてもちっぽけで、でもそれぞれが物語を持っていて、起きたことに対してそれぞれがそれぞれに思うところがあったりもして、時に質問する側も冷静ではなくなったり、回答が思わぬほうへ進んで行ったりはするものの、でもだからといって、起きてしまった大きすぎる出来事を凌駕出来るようなことなどなくて、という雰囲気で進んでいったのに、そこだけ急に小説のジャンルすら変わったかのようなのです。


どこかで、意味もわからずに身の回りで起きた様々に対して、それでもなおあの選択をすることで、その人物に穢れのないものの持つ悪意や残酷性を背負わせて、しかしそれこそが無垢なるものだといいたかったのかな、とか。


もしかしたらあれは、どうも死者の声すらをを聞くことが出来るようになったのかもしれぬと、最後の問答の中で語られてはいたところで、中心人物の頭のなかだけで行われた問答なのかも知れないけど。


中心人物の問答で語られる過去のなかで、様々な、事件にかかわった人々の証言によってなかったはずになっている血にまみれた「存在」があったことになっていて、その「存在」が世の中というものに軽く扱われて消えるという辺りが、もうそこだけでゾッとするのだけれども、人が沢山いれば、大きな不幸にも様々な視点があって、ただ苦しさに飲み込まれる人も、実感の薄い人も、不幸のはずのことがその人物には不幸とも言えなかったり、受け止め方の違いでさらに不幸になってしまったり、だーっと一気に読めてしまう小説でした。


読む前にネットで、いまいちなぜ惨状が引き起こされたか最後まで読んでも分からん、というのを読んで、少しだけ読む気持ちが薄れたものの、分からなくてもすごく面白いものでした。

結論は、まあラスト前の章で描かれることが、正解でいいのかな、と。


いえ、それすらも時間軸の違う話であって、ラスト前の章で語られる問答の、男性の知人だという人の死は、男性の知人が中心となって語られた問答の時に起こった話ではなくて、それよりも後に起きたのかもしれず、男性の知人が問答をした人は、それよりも前の章に出てくる脚本家の友人の男であり、単に男性の知人の男を驚かせようとしていたのかもしれず、真相はやぶの中です。


レスキューの男性が中心となる話と、ラスト前の章の男性の知人男性が中心になって語られる話と、その男性の知人の話のところで、大昔に読んだだけなのであくまでも受け取った感触が、なのだけれども、星新一の『ノックの音が』を思い出しました。断片を切り取ってくる話たちの中で、オチまでしっかりして独立した話としても読め、それでいて大きな物語の要素でもあるので。


有吉佐和子の『悪女のように』も、一人の女性について、実に様々な人々が多面体の彼女を描き出すけれども、『Q&A』は、人物ではなくて事件とその人物の置かれていた状況を、確実な答えを見せるわけでもなく、しかし一応は回答らしきものはあるから、こうでしたという断言がなくてもふんわりと感じろ、という話なのかしら、と思いました。


そういえば、『ひぐらしのなく頃に』と似たものも感じました。

思わぬほど大きな事件になったとはいえ、そもそもの原因自体が、まさかというほどやけにどでかいじゃないか、と思う辺りとか、ラストの章の少女のくだりとか。少女に将来起こるかもしれぬ話の感じだとかも。単純に感触ですけれど。


解答としてあげられているものとは全く関係ない気のする、少女の気分不快が招いたのかもしれない事件の一端とか、もしかしたらラスト前の章の男性の知人の語ったような、途方もなく大きな話に関係のない事柄はほかにもあったかもしれず、確かに解答も解釈も沢山あるはずなので、明確な答えが欲しい人には向かない話だとは思うのだけれど、大きな出来事があって、その周辺の人々は何を語ったのか、といったものを面白く思う人には、一気に読んでしまえる話だと思います。


カメラを無表情に見つめた人々は、単に、あまりの恐怖で無表情にいたのか、笑った人も、恐怖でだったのか、或いは単純に、カメラのとらえた映像を見ていた人物が、精神的におかしな状態だったせいで、大変なことに巻き込まれている人々が無表情に見えたり、映っていた知り合いが笑っているように見えたのか。


ラストを見ると、もしかしたらそうとも限らないのかもなんて思わなくもないぐらいに、世界観が違う調子になるものの、『ひぐらし』のようにはやり直しはきかない世界なのだろうし、事件のときからやり直しがきいたとして、一体ラストの中心人物には何一つできることはなかったのだから、であるからこそあの人物は、ラストの決断を選んだのだろう、ということなんだろうなと、先にも書いたように、事件とその周辺にざわざわとしていることどもとは対極の無垢の選択、という気持ちになったので、そんなに変なラストだとか、このラストで台無しだ、とは思いませんでした。そうして究極の無垢は、実在すら危ぶまれる血まみれの「存在」だったのかもしれず、その「存在」を知ったもう一人の無垢であった人物は、自身も無垢へと帰ろうとしたのかもしれない、とか、まあ、解釈は人それぞれなのだろうと思います。


もしかしたら違う解釈があるのかもしれない、という解答しかないから、より荒んだ心の闇とか、しゃあしゃあと生き抜く強さとか、強いはずの人の弱さとか、権力を持った大人が子供を魔の手にかけても、周りは弱々しくしか守ってやれぬとか、そういったことどもが独立した物語として面白いのかもしれないです。あるいは、大きな、沢山の死人の出た事件をすでに物語化して楽しんでしまえる人間もいるというようなことであったり。


一つ非常に気になったのは、物語の中で何度も語られる、ぬいぐるみを引きずって歩いていた少女の持っていたものを、ある人物はあれはぬいぐるみなんかではなかった、と言い、それを思い出してふと、ではぬいぐるみと一緒に引きずったなにかは、あまりにも長時間引きずられたせいで、の汚れへとなってしまったのかもしれぬ、そうすればほかの人間たちとの証言との間に矛盾もなくなるのかもしれない、という恐ろしい想像をしてしまいましたが、これはまた、現実的ではないだろうし、その過程の目撃がないのもなんだかおかしなことになるし、とか、さまざまに考えることが楽しい、というか、興味深いものだという気がしました。


後味の悪さの大きなものだけれど、いい読書の時間でした。


1型糖尿病で介護福祉士の感想や雑記

タイトルそのままです。 宜しくお願いします。

0コメント

  • 1000 / 1000